kaamos-metsa うつ寛解後を生きる

心の病の寛解後、を私なりに生きて、考えています。

【うつを振り返る】病気と友人

長く病んで寛解に至った人は、その後、どんな風にして

古い友人と交流しているのでしょうか。

 

私はというと、ひそかに苦戦しています。

 

 

病気の間は、友人にはとても今のつらさを話せないなあという

思いがありました。

なんだかもう、自分がとてつもなく深い穴に落ちてしまった

気がしていたので、友人たちが暮らしている場所は

遥か上空の小さな光の穴の向こうに広がる地上であり、

そこの人たちと通じる言語を自分は持たなくなってしまった、

というような感覚でした。

 

体調を崩しているらしいと知って、心配してくれた人も

いましたが、今少し出歩けなくて、とお誘いもお断りして

(実際にとても外出できなかったのですが)、

元気になったら連絡しますと約束して数年が過ぎました。

 

寛解してこちらも少し活発になってきて、

恐る恐る、久しぶりに連絡したところ、友人たちは

会おうよと言ったくれたのですが、私としては、

再会にあたってかなり緊張していました。

心を病んだ人とつながりが出来て、依存されたら迷惑だなと

思っているんじゃないか。そう思って、当日は極力、

・尋ねられたら完全な思い出話としてうつについて少し話す

・今は元気というアピールも、過ぎればわざとらしいのでほどほどに

・先方の、仕事や家庭での良い話をたくさん聞いて、喜ぶ

こんな風に振舞おうと心の中で算段していた記憶があります。

 

お陰様でこの作戦はそこそこ上手くいったようで、

その後も友人関係は切れることなく今日に至っています。

「重くない人」と思われたい、という私の願いはそれなりに

かなったのかもしれません。

 

ただ、そのようにして「付き合ってもらっている」ことは

もちろんありがたいことなのですが、

正直なところをいえば、最近、このお付き合いに執着している

自分に違和感も感じています。

 

私が腐心しているのは、友人の前で「病前の自分」であることです。

 

先ほど、うつになって「深い穴に落ちてしまった」感覚があったと

書きました。

その穴の底はけっこうな地獄で二度と落ちたくないのですが、

数年間、自分なりに必死で闇に目を凝らして過ごした穴でもあります。

最低な場所だけど、私の人生にとって重要なことが潜んでいる穴のようです。

 

「病前の自分」とは、この穴が教えてくれる諸問題と

向き合わないよう向き合わないよう、小さなサインがあっても

どこまでも目をつぶって過ごしていた自分です。

 

友人と会うことは、そういう頃の自分との再会の機会でもあって、

それが私にはつらいのかなと思います。

 

病後のアイデンティティーの再構築って、長く病んでいた人には

結構大きなテーマなのかなと思うのですが、

つかの間の休憩として、昔の自分との再会を楽しむか、

もしくは、自分に起きた変化のままに友と向き合ってみるか。

 

自尊心の問題とも関わる気がしますが、

私にはまだ答えが出ていません。

 

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現在治療中の方、また受診を考えられておられる方には

専門家への相談をおすすめします。