kaamos-metsa うつ寛解後を生きる

心の病の寛解後、を私なりに生きて、考えています。

【うつを振り返る】電話相談を利用した感想

今回は、うつの時の苦しみを誰と話すか、

私が電話相談を利用した経験について書いてみます。

 

(ただし、詳細な連絡先については記憶が曖昧なので、

最後まで読んでいただいても具体的な相談機関名、

電話番号などは記載しておりません。)

 

 

私の家族は相談に乗るのがすごく苦手な人達で、

ある意味精神的に突き放されていました。

それが当時は死ぬほどつらかったけれど、

友人は、なんだかもう別世界の人と感じていて、

遠く流されたところにいる自分が連絡してはいけない人のように

思っていました。

 だから結局、身近な関係性の中では相談できる相手というのは

いませんでした。

 

でも、もし誰かを相談相手とみなしていたら、

ものすごく負担をかけたでしょうから、あれは

あれで良かったのだろうと今は思っています。

 

そういう自分でも、時々どうしてもこらえきれなくなって、

誰かに話を聞いてもらいたくなりました。

本当に、今、誰でもいいから聞いてくれ! という感じ。

 

私の場合は、(つながらないことで)有名ない○ちの電話だけでなく、

自治体が実施しているものとか、

自殺防止団体等の電話相談などにお世話になりました。

もちろんこういったものも、曜日限定だったり、

受付時間内でも全然つながらなかったりします。

 

それでも幸いつながった時、

気持ちに寄り添ってくれて、話すことで助けられたと

感じられたことももちろんありました。

 

でも正直に言えば、

時として、「病院で先生と相談してください」と

の一点張りだったり(テンプレ通りなのでしょうが)、

「ほーん」「ふーん」というような、気の抜けた相槌以外は何も

返ってこなかったり、という体験もあり、

かけたことを後悔するような時もありました。

 

でもそういう時でも、

人の声を聞くだけでとりあえず冷静になれるというところは

あったし、私の場合は、ちょっとその相手とのちぐはぐな空気に

ふとしらけて、「死ぬのは今でなくていいか」みたいな気持ちに

なれたんです。

 

電話相談において、少ない情報の中で、また短い時間の中で、

そこまで的確な回答を出せる人なんていないでしょうから、

完全な無い物ねだりをした挙句に勝手にしらけているわけで、

我ながら本当に内心勝手なことを考えていたなと思うのですが、

当時の私はしらけつつも、とりあえず電話を取ろうと思ってくれる

人が電話の向こうにいた、そのことに多分、少し安心を覚えた

のではないかと思います。

 

それから、「他人から見たら恐らくちっぼけであろう自分の悩み」

を客観視できる機会だったのかもしれません。

死ぬほど苦しい、という思いも、聞く相手からしたら

所詮、何百本、何千本のうちの一本の電話で、

とても平凡な内容なのでしょうから。

 

いずれにしても、

電話の内容そのものに救いを求めるというよりも、

「ボランティアで人の悩みに耳を傾けようとしてくれる人の

思い」というものに想像力をはたらかせて、

どうしてそんなことをしてくれているのか、と

考えてみる、そしてもし感謝の気持ちがわいてくるならば、

その気持ちの正体についてちょっとじっくり考えてくる、

みたいなのが、電話相談の正しい使い方…なのかもしれません。

 

これが私が電話相談を利用した、個人的な感想です。

 

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本ブログは素人による雑記です。

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専門家への相談をおすすめします。