kaamos-metsa うつ寛解後を生きる

心の病の寛解後、を私なりに生きて、考えています。

セメントベビー

セメントベビー。

そんな言葉があることを知らなかった、

元セメントベビーな私です。

 

 セメントベビーの意味は、以下の通りで、

「再婚した夫婦の間に生まれた赤ん坊」です。

 

dictionary.goo.ne.jp

 

私の場合は父に連れ子がおりました。

 

どうも、わりとよくあるとされるパターンは以下の2つのようで、

①セメントベビーが家族の皆から愛されて、絆が固まる

もしくは

②両親の愛情がセメントベビーに集中して、連れ子が疎かにされる

ということのようなんですが。

 

うちはどちらでもなかったなと思います。

ともかく父が、自分の連れ子に対する愛情が深すぎて、

その子が疎外されるとか、寂しい思いをするなんて

絶対に絶対に許されない! ことであり、

そして母はその気持ちに追従していました。

 

後々になって、母は、

「物心つかないうちは、どう扱われたかは覚えていないはず。

だからごめんね、と思いながら私を後回しにしていた」

と言っていました。

 

しかし、覚えているのですね。

連れ子に手を上げられたり、極端な意地悪をしかけられたことも、

両親がそれを見て見ぬふりをしていた空気も。

2,3歳の頃のことですが、痛み、恐怖、部屋の中の様子や人々の姿が、

頭の奥に残っています。

 

そんな風に育てられて、なんだかおかしい、消えたい、苦しさがとれない

という思いは大人になっても続きましたが、私が

ボウルビィの愛着理論を知ったのは、結構最近のことです。

 

ジョン・ボウルビィ - Wikipedia

 

「複雑な家庭」と呼ばれることを、両親はとても嫌悪していました。

それに気付いていたから、私も、私の家庭環境を

「普通」と信じ込もうとして生きてきました。

 

不思議と、家族歴を掘り下げようとする医師やカウンセラーとの

出会いもないまま、ここまで来ました。

 

でも、ああやっぱりな。苦しくて消えたくて当たり前だったんだ。

と今は思っています。

 

いい歳をして、幼少期の体験を引っ張り出してきて、

私かわいそう、と感傷に浸っている…こう書くと、

我が事ながら嫌悪感が湧きます。

 

でも、時としてそのいわゆる「セメントベビー」とやらは、

生まれ落ちた時から周囲にcementの役割を期待されたり、

親や兄姉の複雑な感情の対象になったり、

乳幼児期に親から100%受容されるとはいかなかったり、

そんな理由で絆を固める役割を果たすどころか、

自爆よろしく粉々にくだけることもあるような気がします。

 

こんな研究結果も。

 

「子供の頃のストレスは脳に影響を残す、ウイスコンシン大マディソン校」

http://science.newsln.jp/articles/2014062716000031.html

 

セメントベビーとは、いつもいつも、実親からの愛情を

独り占めした王子、姫であるとは限りません。

 

一生懸命、両親や腹違いの兄姉の苦労とか悲しみを察して、

幼いながらに、息を詰めて、私は控えめにしていようと

思っている場合もあるのです。

 

もちろん、100のステップファミリーがあって、

その構成員が500人いるとしたら、喜びも悲しみも苦しみも、

500通りでしょう。

 

ここに書いたのは、その500分の1の、小さなため息です。

 

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専門家への相談をおすすめします。