kaamos-metsa うつ寛解後を生きる

心の病の寛解後、を私なりに生きて、考えています。

【ブックレビュー】インナーチャイルド-本当のあなたを取り戻す方法

少し古い本ですが(2001年刊)、

インナーチャイルド-本当のあなたを取り戻す方法」を読みました。

 

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法

 

 

インナーチャイルドとかアダルトチャイルドと称される概念が

本当に人の回復に役立つものなのか、そのあたりはずっと疑問でした。

率直に言えば、うさんくさいなあと。

 

しばらく余談になりますが、そう思わされたきっかけは、

かれこれ14年ほど前のこと。

 

 

大昔にこの人が出演したNNNドキュメント'02を見ていて

強烈な違和感を持った上、

のちにこの人が逮捕されるに至った事とは無関係ではないと思います。

 

この番組の中で、インナーチャイルドとかアダルトチルドレンという

言葉は使われていなかったかもしれませんし、

番組内で紹介されていた、カウンセラーによるおむつの取り換えや

哺乳瓶での授乳等には、ものすごい気持ち悪さを感じました。

 

ただ、「育て直し」というテーマには関心を持ったからこそ、

この番組も見たのです。

ちなみにその頃の私は、精神科とかカウンセリングとは無縁の

生活を送っていました。でも、常にぼんやりとした「不全感」に

苛まれ、それが自分の家族関係と関係があるような

思いはありました。

親子、きょうだい、いくつかの関係性の中で、

過去にアンタッチャブルな部分があり、

いまもって語り合えない部分が多すぎるし、

家庭はしばしばトラブルに満ちていて、

しばしば窮屈だったりしんどい思いをしていました。

 

けれど、私の抱える問題の解決にあたり、

もしもこのテレビ番組のような「育て直し」が必要なのであれば、

絶対に嫌だなと思って、それからずっと愛着理論を前面に押し出しすぎている

ようなイメージのものは、「うさんくさい」と思い続けてきました。

(素人なので勝手な思い込みです)

 

それが、めぐりめぐってこういう本を手にしているのは

なぜかと言えば、昨春頃にこのような本を読んだ事と関係しています。

 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

 

私はこれまで、母親との関係はなんだかんだいっても

良好だと信じてきました。

上に、「不全感」があったと書きましたが、

それは主に父親に問題があって、母親はそれに従わざるをえなかったのだと

思ってきました。

 

けれど、ある出来事から母との関係性に

問題が生じて、それをきっかけに、母が本当に私の信じ込んでいる

かわいそうな人なのかに疑問を持ち、上のようないわゆる「毒親」について

書かれた本を読むようになりました。

 

「毒親」というジャンルは、私にとっては今でも

本を売るために作られたひとつのジャンルのようにも

思えるし、盲目的に吸い寄せられることに危機感みたいなものも

感じます。

けれど、読めば読むほど、長年抱えてきた「不全感」は

決して甘えや思い込みなどではない、とも思うようになりました。

 

ここからやっとブックレビューです。

この「インナーチャイルド-本当のあなたを取り戻す方法」は、

上の「不幸にする親 人生を奪われる子供」や、

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫) などに比べると、

妙にくせのある文体で読みにくさがあります。

それと、原文は分かりませんが、終始、著者が興奮している感じ

なのが気になります。

あえてそういう文調にしているのかもしれないけれど、

行間から著者の親への怒りや悲しみが滲みすぎてて、

ちょっとしんどいです。

 

でも、家族というシステムの中で、子供が子供以外の役割を

負わされて育つことの問題点については、何箇所かで

分かりやすく言及されています。

 

ママのかわいい男、ママの夫、ママの親友、ママのママ、

パパのかわいいお姫様(赤ちゃん人形)、パパの妻、パパの相棒、

パパのパパ。しかも、代理配偶者やママのママ(パパのパパ)役は

性別に関係ないのだ、ということを理解することが大事です。

少女は母親の代理夫にもなれるし、少年は父親の代理妻にもなれます。

すべての場合において、子どもが両親の世話をやいています。

これは自然の道理が逆転した形なのです。 (p.230)

 

以前から、漠然とではありますが、

私が母親に負わされていた役割は、「相棒」でも「妹」でもない、

なんだろうと思っていたところがあります。

 

母親は、何かを負わせたつもりはないようです。

でも思い返してみると、私は彼女の愉快でない話を聞くことを

強いられていました。

小さな子どもには聞いたところで解決できないような話です。

 

彼女は女だという理由で、勇気を持って発言したり行動することを

避けていました。

だから、私は母親の父か夫、いずれにしても父性的な存在として、

母親を庇護する役割を要求されていたような気がします。

 

この本を読んで、私も「ママの夫」ではなく、

本書でいうところの「ワンダーチャイルド」

--驚きに満ち、自発的で、今を生きている存在(p.58)として

育っていたらな、という気持ちにはなりました。

 

ただ、本書にあるような、

幼い私に手紙を書いたり、瞑想の中で再会して

救いの手を差し伸べるワークや、

神経言語法(NLP)を用いて自らの精神史を変える、

という方法については、恐らく試してみることはないでしょう。

 

今のところうまく表現できないのですが、

「過去の私に手を差し伸べる」というイメージが、

私の中ではしっくり来ません。

 

なんとなく、子供の頃の私は今よりも強かった気がするし、 

むしろあの頃がんばっていた私は、うつの発症を境に

すっかり弱くなってしまったようにも思います。

 

がんばっていたからこそボッキリ折れたのか、

なんなのかよく分からないのですが、

幼い私は私に抱き上げられるのを待ってる感じはしないんですね。

 

そういうイメージを持てないということに、何か問題が

隠れているのかもしれませんが…。

 

◇◆◇◆ attention ◇◆◇◆

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